9月18日「『積層』をキーワードにモノ・コトを考える。〜学校という『場』において〜」のワークショップを開催しました

奈木和彦ワークショップ「『積層』をキーワードにモノ・コトを考える。〜学校という『場』において〜」

9月18日(火)に、美術家の奈木和彦さんを講師に迎え、美術分野のワークショップ「『積層』をキーワードにモノ・コトを考える。〜学校という『場』において〜」を開催しました。
奈木さんは、静岡を拠点に、絵画を独自の切り口で捉え直す試みや、サイトスペシフィックなインスタレーションなど幅広い活動を展開している作家です。
まず導入として、このワークショップの趣旨と流れが説明されました。次いで自己紹介を兼ね、スライドで自身の活動が手短に紹介され、また「積層」という視点のみならず、「並列・連続」の観点からもアメリカのポップ・アートの巨匠アンディ・ウォーホルの作品が読み解かれました。
続いて前半のワークショップに移ります。
まず個人のワーク。「学校」との関係において、「積層」という言葉から連想されるモノ・コトについて自由に思い浮かべます。そして年齢・性別・職業などを異にする4・5人のグループに分かれ、それぞれ「積層」「学校」について協議。そこで浮かんだワードを付箋に記し内容によって分類していきました。
(その間、奈木さんは、「積層」「学校」「積層・学校」等について、あらかじめ用意した言葉を次々と板書。)
それを経て、また個人のワーク。グループでの話し合いを踏まえて、発表を前提に、アイデアスケッチや言葉や文章に起こしていきました。現実的でないプランも可、最終的な形態を示す必要もないとのこと。

休憩を挟み、後半のワークが始まりました。
グループごとの付箋を貼ったA3の紙が黒板に掲示されることで、参加者のブレーンストーミングの結果が明らかになりました。
続いて奈木さんによる実技? ガラスの皿に廃油が注ぎ込まれ、そこにオブラートをリング状に並べてゆきました。オブラートの既成概念が破壊され、その二つの物質は、通常あり得ない関係性のなかで名状しがたいモノのリアリティを出現させました。
その後、「学校×積層」の実例として、小学5年の時に奈木さんを変えた、学校でのある「積層」が紹介されました。それは、古びた3冊の日記です。それまで手に負えない問題児だった奈木さんは、新たに担任となった先生から毎日日記を書くように言われ、また先生が朱筆で毎日コメントを入れて下さったという、その実物です。1年間通して、学校で朝と夕方、一緒にグラウンドで走って下さったことも一種の「積層」といえるでしょう。日記をずっと取っておいた母親の愛情にも胸を打たれますが、担任の先生の愛情に一同驚嘆。1人の小学生の古い日記に過ぎないのに、提示の仕方によって普遍的なメッセージに変わるということがよく解りました。
次いで、「積層」と「学校」の関係性を、グループから1人の代表が立って約3分間で発表。奈木さんがコメントを加えてゆきました。
最後に、「積層」に関連する奈木さんの作品とコンセプトが、スライドトークの形で紹介されワークショップは終了。
美術分野のワークショップなのですが、ここでは何も作らず、ひたすら「積層」と「学校」との関係についてブレーンストーミングを重ねました。参加者は美術に詳しい人ばかりではないので、当初、難しい課題かもしれないと感じていたのですが、始まってみると、ここで扱う内容についての奈木さんの周到な準備と流れについての予想、そして現場での余裕を持った臨機応変の対応によって、参加者は無理なく課題の意図をつかむことができたように思います。

9月10日「受講者企画 建築へのアプローチ」のワークショップを開催しました

9月10日(月)に「受講者企画」として、建築家の柴田彰さんの企画による「建築へのアプローチ」を開催しました。講師は、「カワイイ」をキーワードに建築やデザインの課題を読み解く活動を続けている、プロジェクト・プランナーの真壁智治さんです。内容は、「カワイイ演習」と「フロッタージュ演習」の2本立て。午前中の1コマがレクチャー、午後の2コマをワークショップと発表の時間としました。
レクチャーでは、バウハウスから現代までの建築概念の変化について、ミース・ファン・デル・ローエの言葉「Less is more」とロバート・ヴェンチューリの言葉「Less is bore」の対比、また建築は誰のため・何のためのものか、という根本的な問題と、その変遷についての説明がありました。日本では、丹下健三の「国家と民衆」、槙文彦の「社会と人間」、伊東豊雄の「消費社会と大衆」そして「コミュニティとみんな」、隈研吾の「場所と市民」、藤本壮介の「都市と自分」、妹島和世の「世界と私」、塚本由晴の「地域社会と人びと」などが挙げられ、その流れは「理性合意による建築」から「感性共有による建築」に向かっているとの見通しが語られ、次第に、建築を巡る作り手と使い手との感覚共有化の事態にあることが示されました。
次いで、「カワイイ演習」の解説。まず四方田犬彦著「かわいい論」(2006年)が紹介され、真壁さんが提唱するカタカナの「カワイイ」について、テキスト「カワイイパラダイムデザイン研究」(2009年)に沿っての説明がありました。テキストには、13の視点を導入した別価値の交差座標のマトリックスが示され、モダンデザインで否定されてきた、「緩み」「不合理」「ホワ感」「ヌケ感」「スケ感」「フワ感」等々のカワイイ感性領域の構造を分かりやすく説明してくださいました。
続けて、フロッタージュの説明。シュールレアリスト、マックス・エルンストのフロッタージュを、「意識が描く想念を超えた形象をつかむ」ための手法とし、それに比し、真壁さんのフロッタージュは建築や都市の位相にアプローチする方法であり、「自分の身体と対象との感応」を問題にしている手法であることが語られました。
また昼休みの課題として、エイジミックスからなる3・4人のグループで、「キャンパス内で『カワイイ』を探す」、が投げかけられ午前中のレクチャーを終了。

午後はまず、都市や建築の問題とフロッタージュの関係について、テキストに沿って説明。フロッタージュは8段階のフェイズに分節化され、その対象と自身の行為には、「気」を通すことが大切で、それを野口晴哉の活元運動と絡めて解説してくださいました。ついで、真壁さんによる活元運動の実演。次いで受講者も試行。
フロッタージュの活動は、あいにくの雨天のため屋内のみでの実施となりました。13:50〜14:50までの約1時間、受講者は教育学部建物内の廊下や階段、バルコニー、彫刻アトリエなどで取り組みました。
教室に戻り、15:10からは、昼休みに構内で見つけた「カワイイ」の写真をパソコンに取り込み、スクリーンに投影してグループごとに発表。またそれぞれの写真に、真壁さんが豊かな語彙を駆使して絶妙のコメントを連発。発見と歓声に満ちた時間が流れました。「ここでは“まぬけ”が評価の対象」「モダニズムの建築自体が既に懐かしさになっている」等々。受講者は、「カワイイ」の感性領域の広がりについて確かな目覚めがあったように思います。
最後に、企画者の柴田さんの指名によりグループから一人づつ、ワークショップの感想について発表があり「カワイイ演習」は終了。時間は超過しましたが、その後、フロッタージュを床一面に並べ、受講者が建築と身体性を通して接した痕跡を目の当たりにして、建築を感覚と身体から身近にするワークショップ、「建築へのアプローチ」を終了しました。

9月3日「展示」のワークショップを開催しました

去る、9月3日(月)展示のWSを開催しました。

講師は、美術家の麻殖生素子(まいお もとこ)さん。麻殖生さんは1980年代から独自の手法で屏風世界に革新をおこし、その才能をめきめきと発揮されていきます。国内では、東京は銀座、京都は清水寺、二条城、泉涌寺、鎌倉は浄智寺、円覚寺他多数、一方、海外でもニューヨーク、ワシントン、ジュネーブ、メルボルン等で個展やグループ展を開催、国際的にも不動の評価を得ます。

そんな麻殖生さんが今回のWSの舞台に選んだのは、中勘助文学記念館(静岡市葵区)、小説『銀の匙』で有名な作家を顕彰して建てられた記念館です(設置者:静岡市、管理運営:静岡市文化振興財団)。

前半は、麻殖生さんにより、屏風の基礎知識を習い、受講者も実際に屏風を扱ってみるという体験をしました。現代の生活からだいぶ遠い存在になってしまった屏風のためか、受講者は屏風の扱いに慣れていません。最初は、どこを持って動かしていいのか、どのくらい開いて立てるのかなども一切分からず、ひじょうに心許ない状況でした。

第二部では、実際に麻殖生さんの作品を使って、約6畳二間の空間にいかに複数の屏風を並べるかということに挑戦しました。それぞれのグループがテーマにそって屏風作品を展示していきました。麻殖生さんは、4グループの各発表を聞いて、受講者の意図を汲み取り的確にアドバイスをしていきます。受講者の展示のできは麻殖生さんの想像以上だったとみえて、各展示の視点のすばらしさを中心に挙げていかれました。

最後は、たっぷりと時間をかけて、感想や疑問点をみんなで共有しあいました。WSはやりっ放しではなく、最後に必ずたっぷりと時間をかけて振り返る時間こそが重要だと実感した時間となりました。